一本の映画になりそうな、“異端児”が“伝説”になるまで
チェコのザーツやイギリスのブリュワーズ・ゴールドといった、伝統的なホップの系統に由来する品種として、サッポロビールがソラチエースの開発をスタートしたのは1974年。ビールの原料分野一筋で技術と感性を磨いてきたホップ育種家・荒井康則氏が交配に着手しました。
開発は10年に及び、1984年に「高い苦味含量ながらアロマホップの性質も兼ね備えた品種」として登録されるのですが、当時はまだ「ビールといえばピルスナーでありラガー」の時代。“異端児”ソラチエースの個性が許容されるカルチャーはまだ日本にはありません。そう、生まれるのが早すぎた、というやつですねえ。
そこに登場するのが、サッポロビールのホップ育種研究家・糸賀裕氏。ソラチエースの苗をアメリカ・オレゴン州立大に送り、その魅力を現地のホップ関係者や醸造家に発信し始めました。それが1994年。“異端児”が、ついにメジャーリーグに挑むべく渡米したわけですな。
しかししばらくはマイナーリーグでの下積みが続きます。普通の選手、いや品種ならここで腐ってひっそり帰国するところですが、ソラチエースには運命的な出会いが待っていました。2006年、アメリカの一大ホップ産地・ヤキマのクラフトビールの仕掛け人・Darren Gamache氏(以後ダレンさん)に見出されるのです。
ちょうど自分の農地で次に栽培する新しい(というか変わった)ホップ品種を探していたダレンさん。オレゴン大の農場で品種を物色中に、ふと出会ったのがソラチエース。ご本人曰く「農場でその香りをかいだ瞬間、その場から一歩も動けなかった。それほど衝撃的な香りだった」のだとか。いやよっぽどですよ。人間はそう簡単には一歩も動けなくなりませんからね。“異端児”がよほど“異端”だったのでしょう。
しかしこの“異端”ぶりは、アメリカのクラフトビールカルチャーでは「最高評価に値する」わけで、ダレンさんは早速ソラチエースを作付けし、全米の名だたるクラフトビールの醸造家たちにプレゼンを仕掛けていったのです。結果、醸造家たちはソラチエースの実力に驚き、その価値が認められていきました。
2010年ごろにはシアトルのエリシアン・ブリューイング、ニューヨークのブルックリン・ブリュワリーなど、泣く子も黙るメジャー球団、あ、いやいや、メジャーな醸造所がソラチエースを使用した銘柄を発表。あとは推して知るべし。瞬く間に世界のビールの作り手と飲み手をザワつかせる存在に成り上がった次第。なんというアメリカンドリーム!イチローもびっくりの、ソラチローなんですねえ。