少し出遅れたスタート
日本国内でウイスキーが「飲まれた」歴史は、1853年のペリー来航時に持ち込まれたのが最初と言われ、その後明治維新までの間に各地の外国人居留地で輸入もされていたという。同じ舶来のアルコールを引き合いに出すと、ワインは一説には15世紀、少なくとも戦国時代には南蛮渡来の酒として少量ながら飲まれていたし、ビールも江戸時代の中期に将軍に献上された記録がある。それらに比べると、ウイスキーは少し後発ということになるだろうか。
明治に入ると、舶来の酒も日本の一般民衆の間に広く普及していくことになるが、ここでもウイスキーはやはり出遅れることになる。ビールなどは、殖産興業の流れに乗って官営・民営の工場が次々に建てられ、明治の終わりには現代の大手メーカーにつながる源流がほぼ完成していたが、ウイスキーはまだ本格的な製造の段階には至らず、明治期に国内でつくられていたのはアルコールに着色・香りづけを施した「模造ウイスキー」でしかなかった。日本でウイスキーが「つくられた」歴史を語るには、大正の幕開けと、やはりあの人物の登場を待たねばならない。
日本ウイスキー史【1】(幕末~戦前期)
1853 | ペリーの黒船が来航した際、幕府の交渉役にウイスキーを振る舞ったとの記録 |
1871 | 横浜に開業した英国の商館が「猫印ウイスキー」なるものを輸入販売したとの記録 |
1873 | 岩倉具視の欧米使節団が、帰国時に「オールドパー」を手土産にしたとの記録 |
1899 | 鳥井信治郎が鳥井商店(→のち寿屋→現サントリー)を創業 |
1918 | 竹鶴政孝がウイスキーづくりを学ぶためスコットランドへ留学 |
1923 | 鳥井信治郎が寿屋に竹鶴政孝を招へいし、本格ウイスキーの製造に着手 |
1924 | 京都・山崎に日本初のモルトウイスキー蒸溜所が完成 |
1929 | 寿屋、国産初となる本格ウイスキー「白札」を発売 |
1934 | 竹鶴政孝が独立し大日本果汁(→現ニッカ)を設立。余市蒸溜所が開設 |
1937 | 寿屋が「角瓶」を発売 |
1940 | 大日本果汁が「ニッカウヰスキー」を発売 |
そして役者はそろった
NHKの朝ドラ「マッサン」で一躍有名になったニッカの創業者・竹鶴政孝は、大阪の酒造会社の技師として、本格的なウイスキーづくりを学ぶべく1918年にスコットランドに派遣された。わずか2年の留学期間中に彼は原料、製法、工場設備、経営におよぶウイスキーづくりの様々なノウハウを吸収し帰国したが、会社は資金不足などから蒸溜所の建設を断念。その竹鶴を1923年に招へいしたのが、現サントリーの前身である寿屋の創業者・鳥井信治郎だ。翌1924年に日本初のウイスキー蒸溜所が京都・山崎に完成。1929年に国産初の本格ウイスキー「白札」を発売する。日本の二大ウイスキーメーカーを立ち上げた二人のレジェンドは、奇しくもこのとき同じ蒸溜釜の原酒と向き合っていたことになる。
こののち、さらなる本格志向を追求しようとした竹鶴と、日本人の好みに適したウイスキーへの改良を進めようとした鳥井は違う道を歩んでいく。1934年に竹鶴は寿屋を退職し、北海道・余市でのウイスキー蒸溜に着手。1940年に「ニッカウヰスキー」を発売する。一方の鳥井も、その後のサントリーの代名詞となるロングセラー「角瓶」を1937年に発表。こうして日本ウイスキー史のビッグネームたちが出そろうのは、大戦前夜という激動の時代のただ中であった。
日本ウイスキー史【2】(戦後~現代)
1953 | 酒税法改正によりウイスキーに「特級」「一級」「二級」の3等級が設けられる |
1969 | ニッカ宮城峡蒸溜所が開設 |
1973 | サントリー白州蒸溜所、キリン富士御殿場蒸溜所が開設 |
1984 | 江井ヶ嶋酒造ホワイトオーク蒸溜所が開設 |
1985 | 本坊酒造信州マルス蒸溜所が開設 |
1989 | 酒税法の再改正で等級制度が廃止。ウイスキーの平均価格が下落傾向へ |
2003 | サントリー「山崎12年」が「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」で日本初のウイスキー部門金賞を受賞 |
2007 | ニッカ「竹鶴21年」が「ワールド・ウイスキー・アワード」でブレンデッドモルト部門世界最優秀賞を受賞 |
2008 | ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所が開設 |
2009 | サントリー「角ハイボール」がブームに |
2014 | 竹鶴政孝・リタ夫妻をモデルとしたNHK朝ドラ「マッサン」が放送開始 |
成熟と開花の新世紀
戦後のウイスキー市場は高度経済成長とともに広がりを見せ、大手メーカーの製造規模も拡大する。一方で、1960年に本坊酒造が山梨でウイスキー製造に着手し、80年代からは全国に小規模生産の「地ウイスキー」が各地の酒造メーカーによって登場するなど、日本のウイスキーは味わいや個性の豊富さにおいてもバラエティーの幅を広げていった。
スコッチを手本として戦前に始まったウイスキーづくりの技術・ノウハウもかなりの蓄積が進み、日本人が強みとするものづくりへの執着心とも相まって、国産ウイスキーはそのクオリティーにおいても目覚ましい発展を遂げる。そして21世紀に入ると、それは世界的な品評会での高評価・受賞歴という形でついに開花した。いまやジャパニーズウイスキーは、世界中の愛好家の間で確固たる地位を築いている。
かつては「オジサンの酒」のイメージだったウイスキーも、90年代の「シングルモルト」ブーム、2000年代後半の「ハイボール」ブーム、そして朝ドラ「マッサン」以降の国産ウイスキーブームといういくつかの山を経て、より幅広い層から注目を集める存在に変わってきた。その奥深い世界にまだ足を踏み入れていないという人にとっては、今が一歩を踏み出す「その時」かもしれない。