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三つの小瓶 ~ラオスの焼酎「ラオ・ラーオ」の思い出~

東南アジアの大河メコン、ラオスでは山間を流れるがそれでも川幅は広い

大河のほとりの崖の上

メコン川を小舟でさかのぼった先に、その村はあった。インドシナ半島の中部に位置するラオスの、さらに中部にある古都・ルアンプラバンからメコンを上ること1時間半。アジアの大河らしくコーヒー色に濁った流れに削られた崖を、船着き場から登ったところにバーンサーンハイという集落がある。数十軒の民家が寄り添うだけで周囲に取り立てて見るべきものもなく、メインストリートらしき通りに土産物屋が軒を連ねる以外はひどく静かなところだが、日に何艘ものボートがルアンプラバンからやって来ては多国籍の観光客たちを降ろしていく。この村に何があるのか? 答えは酒、である。

ラオ・ラーオ。「ラオ」は酒のことで、「ラーオ」はラオスを指す。ずばり「ラオスの酒」である。その実は米焼酎であり、バーンサーンハイ村では家々で自家製ラオ・ラーオを製造している現場を見学できる。もちろん試飲もできるし、買って帰ることもできるというわけで、ラオスに来た各国の呑兵衛たちが足を運ぶのだ。もっとも、ルアンプラバンから近場の観光地へのボート・トリップは人気があり、たいていの舟はこの村に立ち寄るので、呑兵衛ならずとも多くの観光客が上陸を果たすことになる。

ラオ・ラーオの蒸留釜、見ての通りドラム缶のDIYである
もち米を発酵させるカメの列、奥で売っているのが土産用の瓶詰め

郷に入ってはストレート

見学できる“現場”は、むろんメカニカルな製造ラインなどではなく、かなり素朴な家内制手工業だ。多くの場合、家の軒先やトタン屋根の別棟にドラム缶を改造した蒸留釜をしつらえ、細々と酒造りにいそしんでいる。ドラム缶の周りにはたくさんのカメが並び、まずこの中でもち米を発酵させ、それを蒸留してラオ・ラーオをつくる。通常の無色透明なタイプに加えて、赤米からつくる赤色タイプやどぶろくのように白濁したタイプなど、種類があるようだ。それぞれ土産用に小瓶が売られていて、私も代表的な3タイプを買い、崖を下って再び船上の人となった。

戻ってきた古都・ルアンプラバンは1995年に旧市街一帯が世界文化遺産に指定され、今や欧米からも旅行者を集める世界的な観光地だ。特に東南アジアへのリピーターが二度目、三度目の行き先に選ぶ“通な”デスティネーションとして名高い。古くは王国の都、やがてフランス植民地の拠点となり、伝統的なラオスのスタイルとコロニアル様式の建物がメコン川の左岸に混在する景観が生まれ、独特の街並みが人々を魅了してきた。

したがって市内には観光需要を当て込んだラオス料理のレストランも多く、そのドリンク・メニューにはラオス国産のビールなどとともにラオ・ラーオも名を連ねている。頼むと大ぶりなグラスにストレートでなみなみと注がれた一杯が出てきて面食らったが、当地ではオン・ザ・ロックや水割りの習慣はあまりないらしい。ということで私には、郷に入っては……、の一択しかないようだった。

グラスにたっぷりのラオ・ラーオ、この量でストレートである

酒もご飯も進むツマミ

とはいえ郷に従うにしても結構な度数なので、まずは恐る恐るすすってみる。と、猛烈なアルコールの臭気が鼻に立ち上り、舌先が焼ける感覚があるが、それでもひと転がしするともち米のまろやかな味が舌に残り、スムーズに喉元を過ぎていく。日本の米焼酎というよりは、テキーラやウォッカに近い飲み口。特に口に入れた最初の一撃はなかなかのものだ。しかし、すすれどもすすれども一向に酒が減らない(何せなみなみ注いである)ので、たまらず途中でチェイサーを注文し、しまいには少し水割りにして飲んでみた。加水することで刺激が落ち着き、かえってもち米の風味が豊かに感じられる。個人的にはこちらの方がクリーンヒットだ。

そして肴には、「ルアンプラバン名物」とガイドブックに促されるまま川海苔をパリパリに揚げた「カイ・ペーン」をオーダー。基本塩味だが少しだけ辛味を足しているのか、後味がピリリとしていてツマミとしては申し分ない。一緒に頼んだラオス風ビーフジャーキー「シン・ヘーン」ともども、酒はもちろんご飯も進む味付けだったので、辛抱たまらずライスを追加注文。すると竹で編んだおひつに入れて、炊いたもち米が供される。そこから直接手で一握り分を取り、おかずと一緒につまんで口に運ぶのがラオス式の食べ方だ。

揚げ川海苔(左上)、ビーフジャーキー(中央)、もち米(右上)
古都ルアンプラバン、伝統的な街並みの旧市街一帯が世界遺産

メコンに流れる時間を土産に

右手にツマミをつまみ、左手でグラスをすすりながら、川に面したレストランからメコンの流れに目を落とす。席についたのはまだ夕刻で、向こう岸に広がるジャングルの中から夕食の支度の細い煙が幾筋か上るのが見えていたが、夕陽でひととき赤褐色に輝いた川面も今は闇に沈み、漆黒の中を吹く川風が少し冷たく頬に当たるだけである。ルアンプラバンの夜は暗い。しかしこの夜が明ければ、また街にはいつもの朝がやって来て、バーンサーンハイの崖の下には何艘ものボートが集まるのだ。

メコンとともに滔々と流れてきた時間、繰り返されてきた営みが、おそらくあのドラム缶で蒸留されて三つの小瓶に収められている。そう想像すると、なかなかいい買い物をしたんじゃないかと思えてくる。日本に帰っても、この夜を思いながら家で大切にすすろうと誓った。まあ、たまには水で割るかもしれないが、粗末な飲み方ととがめられることはあるまい。