黒い山の二人 ~モンテネグロの地酒「ラキヤ」の思い出~

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世界遺産の町ドゥブロヴニク、クロアチアが誇る“アドリア海の真珠”だ

クロアチアでの出来心

モンテネグロには日帰りで行ってこられるんだよ、と耳にしたとき、私はクロアチアのドゥブロヴニクにいて、白い石畳の広場に面したカフェでビールをあおっていた。隣の席についた初老の夫婦(ロンドンから来たと言っていた)と二言三言しゃべっているうちに、彼らが昨日モンテネグロにショートトリップをしていたという話になったのだ。

ドゥブロヴニクは今や旧ユーゴ圏を代表する世界遺産の観光都市で、欧州一円のみならずアジアからも多くの旅行者が訪れるメジャースポットとなっているが、そこから国境を越えて隣国モンテネグロまで足を延ばす御仁はさほど多くはあるまい。その希少性と、旅行“上級者”として一目置かれたい虚栄心と、島国育ちには魅惑的な「国境」なる響きにほだされてしまった私は、一人旅の身軽さにも乗じて早々にビールを干し、街角の小さな旅行社に向かった。初老夫婦もそこで日帰りのバスツアーに申し込んだというので。

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モンテネグロのコトル湾、深い入り江に絵画のような景色が散在する

ツアーバスは国境を越えて

「モンテネグロ」は字義通り「黒い山」を意味している。アドリア海の北東岸、スロベニアからアルバニア、ギリシャ方面へと続く石灰質の山脈のただ中に国土があるので、そこら中にカルスト地形特有の灰色をした岩肌が露出している。あまり深い森というものもなく、低木の山林と広大な草原が岩々の間に広がっている風景は、やはりカルストを形成する山口県・秋吉台のそれを思い起こさせた。

ツアーバスは海沿いの古い港町や急峻な渓谷に海水をたたえる美しい入り江などの観光地に立ち寄ったあと、その「黒い山」に抱かれた牧歌的な高原を走っていた。私以外の客はどうやら欧州人で、しかも仕事をリタイアしたシニア層が中心のようだった。時間から景色から、ときおり車内で聞こえてくるいろんな言語の会話までが、すべてゆっくりと進んでいる。このまま世界が止まってしまうんじゃないかと思っていると、本当に動きが止まった。見ると道端に立つ石造りの家屋の前で、バスが停車している。

ラキヤ、という酒と私はそこで初めて出会った。

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バスが立ち寄ったドライブインのテラス、小瓶に入っているのがラキヤ

焼けつく小瓶をちびちびと

停車した家屋はドライブインのようなもので、周りには土産物を売る屋台が出ており、さらにその周囲には牧草地然とした草地が広がっているが、肝心の家畜の姿はない。家屋の隣に小さな小屋があって、この中でつくられているのがラキヤだった。これはスモモやブドウなどの果物からつくる蒸留酒で、ブランデーの一種だが樽詰めしないので無色透明、グラッパの近縁に当たる。モンテネグロはもとよりバルカン半島一帯で広く親しまれてきた、いわば南スラヴ人の“民族酒”である。

ドライブインでは自家製のラキヤと、これも地場のものなのかプロシュットとチーズを挟んだサンドイッチが供された。お代はツアー代金に含まれているうえ、ラキヤはおかわり自由だというので、調子に乗ってぐびぐびやった。いや、胸が焼けるような度数のものをストレートで喉に通すので、正確にはちびちび、またちびちび、といった具合だ。実際ラキヤは、一見調味料でも入っているのかと思うような小瓶で出てくる。どうしたって、ちびりとしかやりようがないのだ。

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日帰りツアーの最後に寄ったブドヴァ、アドリア海に面する美しい保養地

寡黙な酒と飾らないアテ

口に含むと最初はくぐもった感じのする鈍い甘味が舌に重くのしかかり、遅れてアルコール香がパーッと広がり鼻腔に抜ける。そして抜けたあとにやっと果実の風味がわずかに到来する。……と言えばなんだか複雑そうな飲み口だが、全体としてのラキヤの印象は、素朴でヘビーで飾り気のない地酒という評価でまず間違いはないだろう。一緒につまむプロシュットとチーズの方は、味覚を試されているのかと思うほど繊細な塩気しかしないシンプルな味わいで(テーブルの上にケチャップがあったら手に取るかかなり迷っただろう)実に素っ気ない相方なのだが、純朴だけど気性の荒い大男みたいなラキヤのアテとしては、その控えめな塩気(しおらしさ、と言うべきか?)も悪くないように思えてくる。

まあ酒も肴も、普段着のおおらかさというのか土着のたくましさというのか、「黒い山」の連なる大地に根を張って生きてきた人たちの息づかいをそのままいただいているようで、この土地のそれこそ“地力”みたいなものが一口ごとに胸に焼き付いた。杯ならぬ小瓶をいささか重ねすぎて、土産物を物色する時間もなく出発の刻限となり、バスはまた牧歌的世界の中をゆっくりと走り始める。寡黙だけど腕っぷしの強い壮年の羊飼いと、かいがいしい働き者で心根の優しい妻が、家畜たちに囲まれて見送っている。そんな姿が、彼方に見えた気がした。